日本人が読むと首をかしげてしまいそうな指摘がいくつかありますが、おそらく日本に対する「イメージ」が反映しているのでしょう。
フランスで日本のアニメに人気があるとは言え、日本との接点がアニメしかないというフランス人は結構いるのではないかと思います。元々あった日本人に対するステレオタイプや誤解が、アニメ視聴によってさらに固定化され、再生産されるという悪循環がありそうな気がします・・・。
長いので、前半だけご紹介いたします。なお。「*」が付された部分は訳者による補足です。
なお、引用画像が見にくい場合は参照先を開いてご覧ください。
〜以下、訳出部分。
「漫画とアニメを理解するための社会的・文化的小ガイド」
アニメをより良く楽しむことが出来るように、ジャパニメーションにおける(そして間接的には漫画に関する)紋切り型の表現、隠喩、そして他の一般的な社会的・文化的引用について、初心者向けガイドを作成しました・・・。
日没
日出処の国(*=日本)の作品なのに変ですが、日没は日の出よりもかなり頻繁に使用されます。日没は、人によっては一日の仕事が終わり、ストレスから解放されること(日本では他国より遥かに多くのストレスがある)を意味しますが、この点を除くと、他の国の物語(映画とかアニメーション)と、ジャパニメーションにおける日没の使用法に共通点があるとは思われません。事実、カウボーイが日の沈む水平線に向かって出発するような、物語の終わりを示唆するような使い方はされていないのです。
夕方の静けさに由来する、二つの使用法があります。一つは恋(それはしばしば恋の始まり)、もう一つは不安(嵐の前の静けさ、夜の怖さ)です。恋に関しては、特にここ10年の膨大な数の友情モノや恋愛モノのシリーズから見つけ出すことができます。日没の「不安な」使用法に関しては、光のゆらめきと黄昏によって詩的な表現を行う、『忘却の旋律』のような例があります。


『忘却の旋律』

『涼宮ハルヒの憂鬱』
桜の花
風に舞う桜の花ほど詩的なものはないでしょう・・・。この紋切り型の表現は、だんだん使用されなくなって来ているように思われます。90年代までは、(基本的な話の筋や一度完結したシリーズとは関係のない)特別エピソードを制作してでも、桜の季節にこの表現を使うことがほとんど義務だったのです。恋に関する話であれば必ず桜を使用することが当たり前になっており、事実、桜ははかない美の象徴なのです(桜の開花期は4月中旬の少し前)。
一年のうちで日本人はこの時期が好きです。ご存知のように桜の花はsakuraと言い、多くのアニメヒロインの名前でもあります(『カードキャプターさくら』はご存知ですね?)。

『ラブひな』春スペシャル
夏
ヴァカンスの季節、それは、学校生活から離れる(といっても長くはありませんが)若者が登場するシリーズにとって、とても便利な設定です。『ノエイン』と『グリーングリーン』には、特別な雰囲気の夏を過ごし、肝試しをするという共通点があります。日本の若者は、意志の強さと勇気を示すために、夜の墓地に行ったり森に迷い込むといったことに挑戦します。
島
ご存知のように、日本は島です。アニメの脚本家は、二つの理由からよく主人公の舞台をとても小さな島にします。
一つ目の理由は、主人公を文明と[文明に付随する]義務から切り離し、外界から接触のない、家庭的でロマンティックな状況を脚本によって作り出すためです(『ラブひな』春スペシャル 〜キミ サクラチルナカレ!!〜)。
もう一つの理由としては、情報あるいは外からの助けを無くすことで、「不安な」状況を作り出すためです。策略にはまり、助けはない・・・。『涼宮ハルヒの憂鬱』第6話や『ガン×ソード』第7話はその好例です。
海(とマグロ)
人間の気難しさや荒々しさの象徴であり、特に『GTO』で主人公が失敗して辛い思いをし、マグロ漁船に乗る場面にそれを見ることができます。自然の背景として海を使うことで、ビキニ姿の女の子が登場する口実にもなります・・・。
温泉と公衆浴場
これらは、リラックスしリフレッシュするために日本人が大切にしている場所です。我々にとってそれが非常識に思えたり、単なるヌード露出の口実のように思えるとしても、常にそれを示唆するわけではないし(『パトレイバー』シリーズ参照)、『ラブひな』におけるような優美かつ極めて「一般大衆」むけのものがあるわけではないのです(Jaccuzi[*訳者注:有名な風呂関連機器メーカー]ではあんなの売ってない!)。エロアニメ(ecchi)があからさまにヌードを露出する唯一のカテゴリーであり、温泉ある無しにかかわらず、わいせつなシーンを専門にしています。


『パトレイバー』

『ラブひな』
食べ物と飲み物
これは、例えば(若い、あるいは若くない)女性が昼の弁当を相手の男性のために準備し渡すという配慮のように、あらゆる行き過ぎ、あらゆる暗示を可能にするテーマであると思います(*訳者:この部分、よくわかりません)
飲み物に関して、フランス語吹き替えのアニメシリーズでは、黄色い発泡性の液体には必ずリンゴジュースが入っていると思わせられる不愉快な傾向があります・・・どうなってんだか!『ノエイン』では母親たちが赤ワインを飲み干し、『BLACK LAGOON』では酒場で日本人ビジネスマンと勝負する必要はないことが分かったし、『Solty Rei』では忘れるために・・・、そしてそれが好きな場合は、ゆっくりと時間をかけて飲むのです(『スペースアドベンチャー コブラ』『宇宙海賊キャプテンハーロック』)。
部活動
最近の大多数の作品が中学生や高校生に関するものであることが指摘されるべきです。日本人はいかなる場合にも集団の一部であるということから逃れられないのです。
「〜として」
アニメシリーズの主人公の多くは、そして私が思うに日本人の多くは、常に兄、親、探偵、親友・・・などなどの、「個人」以外のあらゆるもの「として」、その行動や位置づけが成されていることに皆さんはお気づきでしょう。必然的にその存在は、自分が位置する集団の一部となっており(同僚の中の友人、家族の中の年上の男の子・・・)、そうでなければその存在はほとんど無視されてしまうのです。さらに、作中にホームレスも物乞いも全く登場しませんが、さすらいの正義の味方や若者の不良集団は登場します。
制服
同じような意味で登場人物は、社会における位置づけに典型的な制服や服装をしています。小学生、正義の味方、しがない管理職、メイド、兵士・・・、だらしない服装をしたチンピラやジーンズ・スウェット・バスケットシューズを身に付けた一文無しの若い労働者にも、それぞれに道具一式を与えられているのです。最近はこの傾向が変化しているものの、登場人物の大半は作中を通して同一の衣装を着続けます(仕事着と普段着は区別する必要がありますが)。
作成者:金属殿様(Metallord)
〜訳出部分、終わり。
後半はこちら。
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