2007年05月19日

フランス人オタクの「ナウシカノーパン伝説」論争

 1984年公開の『風の谷のナウシカ』がフランスで劇場公開されたのは、なんと去年の8月。フランス語サブや英語版DVDで既に視聴済みの人も多かったことでしょうが、正規版がフランスの映画館で上映されるには20年以上かかったわけです(短縮改悪版については後述)。

 フランスの映画専門総合サイト「アロシネ」から、いわゆる「ナウシカノーパン伝説」についてのフランス人の議論を抜粋してご紹介いたします。


〜以下、訳。

すまんが、なんでだ???????

-zeltry-
 この映画の素晴らしさを損なわれたくない人はこのスレッドを読まないでくれ。
 ネタバレ:なんでナウシカはこの映画の三分の二でパンツはいてない唯一の登場人物なわけ?????????
 馬鹿な質問ってのは分かってる。でもこの点について説明が必要だ。だって何度も見直すたびにますます気になるんだ。

-Mayareel-
 お前の目が悪いのと、色彩設計担当者がナウシカのズボンの色を間違えたんだよ。

-McKerr-
 色彩設計が悪かったと?説明じゃないけど、あれを修正する時間はたっぷりあったんじゃないかと思うんだけど?

-Mayareel-
 マジな話、色彩設計が最悪(*注1)。この映画の色調は既に貧弱(最新作に見られるような資金と技術がなかったんだよ)。二つの反対色を使おうとしたようだな。ちょっとピンク色が強いベージュ色をズボンに使ったわけだが、正にその選択が間違いだったんだよ。それで幾つかのシーンで、体の色とごっちゃになってしまった。それから、問題のあのズボンの形は比較的体に密着している。だから欲求不満がたまってる奴らが喜んだのさ。お前がそんな奴らじゃないんだったら、このアロシネに掲載されている画像を見ることをお奨めする。それを見れば分かることだ。

 この映画には他にも欠点があるけど、宮崎は映画の視覚的クオリティには気を使っているし、(厳格な価値観を持つことでも知られる)ディズニーがお墨付きと賞賛の念をこの映画に送っていることを考えると、もし主人公が上着の下に何も身に着けていないという様などえらい間違いが本当にあったとしたら、この映画がフランスで公開されることはなかっただろう。

-mastersly-
 ナウシカはベージュ色のぴっちりしたズボンを穿いていて、これが彼女の肌に見えてしまう。でもそれがズボンであることに変わりはない・・・。
 おまえ妄想入ってるか、たまってるかどっちかだな。
 でもやっぱり、Miyasakiは、変態か偏執者じゃないかと思わされるぐらい、細部に特にこだわっているように思える。例えば『となりのトトロ』では、女の子(妹の方)がオムツのような白いパンツを穿いていて、これが15回も映し出され、そのうち3〜4回はクローズアップだ。
 他にもあるはず、おまえらほかの作品からも探し出してくれ!

-Analyzer-
 先ず、彼の名前はMiyazakiだ。SじゃなくてZ(*注2)。それからお前の理屈は全然おかしい・・・。彼自身が言っているように宮崎は女性が好きだ。だからこそ、彼はいつも女性に重要な役割と重要なショットと与えてるんだ。そして、彼は特に幼女や少女が大好きだ。だからこそ、重要な役割を少年よりも少女に与えるわけだ。パンツを穿いたメイを描くのは至極当然!!!もう一度言う。お前の理屈はおかしい。この分野(宮崎とか『トトロ』での幼女とか)について無知だ。綴りに気をつけろ。もう何も語るな・・・。

 *この後のmasterslyとAnalyzerの「不毛な」議論は省略。

-McKerr-
 あれはズボンなのか?ストッキングなのか?

-robinne-
 >でもやっぱり、Miyasakiは、変態か偏執者じゃないかと思わされるぐらい、細部に特にこだわっているように思える。
 でもやっぱり、宮崎は、完全主義者じゃないかと思わされるぐらい、「リアリティのある」細部に特にこだわっているように思える。
 日本の漫画(とアニメ)の多くで繰り返されているのが、この細部(スカートの下のパンツ)だと思う。

-thespiritt-
 1984年だぞ、1984年。

-Mayareel-
 少女のスカートの下にあるもの(つまりパンツ:さらにその下に何も穿いていないのはわかるよな?)を見せられても不快ではないという点が、文化的特徴なんだよ。日本の性的タブーが、その方向性においてフランスの性的タブーと同じように偽善的であるとしても、[両国で]同じものが通じるわけじゃない。でも、少なくとも漫画作品において、真っ白なパンティーが(ちょっとしたフェティシズムを伴って)密かに性的興奮の基礎部分になっていることは確かなようだ。

 ネタバレ:とてもエロティックなものとして登場してかなり笑ったのが、エプロンしか身に着けていない裸の女の子だ。最近では少なくなってきているが、漫画に少しでも興味があればすぐに出くわすだろう。

 結論:ヒロインの下着についての宮崎の「設定」は、まったく「無実」とは言えないが、少なくとも彼の作品において、そうした類の細部に「変態的な」側面があるとはっきりとは言えないということだ。あれはリアリズムを狙った完全主義なのだ(その証拠にこの映画で、他の多くのアニメーションにはない、生き生きとした背景を描こうと努力している)。そして、フィクション作品の性的モティーフに関して我々が持っている拒絶反応――それはユダヤ・キリスト教的な古い遺産なのだが――と同じものが日本にあるわけではなく、だからこそあれが可能だったのだ。もちろん間違っているかもしれないが、こう理解できるものと思う。

-McKerr-
 顔の色と太ももの色が違うじゃん。

-robinne-
 映画見てきた!質問に答えるよ。
 回答:爆笑。
 回答2:Mayareelとmasterslyの回答に大賛成。
 単なるベージュ色のズボンだよ。間違いない。疑問の余地は無い。

-Maka Sitomni-
 こんにちは。
 「パンティー」に関するどうでもいい細部に関してキレるなんてアホらしい。率直に言って、お前らの物事の理解の仕方はまだ本能的な段階に留まってるんじゃないかと思う・・・。[宮崎が]ウェストにこだわる人かどうかなんてどうでもいいし(*注3)、ある個人の性倒錯的あるいは精神薄弱的な表現を探すことの他に、やることはないのかと思う。自分が正常だとでも思ってるわけ?お前らの中には賢明にも、文化の問題だと指摘した人がいたけど、酷い意見を書いてる人もいるね・・・。
 人間とか社会は、その本心を隠すために、他者の持つ視覚的な欠点をいつも強く激しく非難する。でもその欠点に見えるものは、我々自身の精神的「倒錯」とか下卑た考え方が反映しているに過ぎないんだ・・・(*注4)。ある日少女のパンティーに興奮したという罪悪感を打ち消すために、一線を越えてリンチをしてしまうものなんだと思う・・・。はぁ・・・。
 要するに、モーツァルト、ベートーヴェン、ニーチェ、カント、アリストテレス、アインシュタイン・・・、みんな欠点のある奴ばかり。精神衛生に関する下らなくて意味の無い話をするのはやめろ。あり得ないし、あまりに安易な仮説に過ぎない。お前らみたいな変態とか偏執の才がある奴は、本当の天才たちの高みには絶対登れないよ・・・。きっとお前たちはその幼稚なナイーヴさで、物を創造するためには健康な精神が必要だとでも思ってるんだろ。歴史と歴史上偉大な男女を見てみろ。みんなおかしな奴ばっかり。みんなどっかで精神的に「退廃」した奴ばっかりだ・・・。それが理解できないんなら、この世に存在するくだらないことしか理解してないってことだな・・・。
 良い一日を・・・。 

-robinne- 
 お前の考えからすると、ペドフィルの芸術家は、芸術家だからそのペドフィル趣味が許されるってことか?(とにかく宮崎に関係する議論じゃないよ。)

-McKerr-
 robinneに同感。25年前の、人を食った日本人の話を思い出した(注5)・・・。

-Analyzer-
 ペドフィルであるという話は、一部の観客、ファン、そしてファンではない人から宮崎に向けられた有名な偏見だ。
 しかし言わせてもらえば、それは偏見ではなくて真実だ、ともう認めてしまってはどうだろうか。ファンであってもそうでなくても、有名人の私生活に触れるようなどうでもいい噂が信じられてしまう傾向があるから、偏見だと言うのも無理は無いけど。
 ペドフィルは、法的には現実の行為によってのみ定義される性的倒錯であって、空想によるものではない。
 宮崎は、毎日の生活の中で、(日本の一部の作家や監督のような)怪しげなあるいはエキセントリックな行動に走る変態的な人物としては知られていない。むしろ、節度と品位と威厳を持った人物だ。家族、友人、国際的に評価の高いアニメーションスタジオも持っている・・・。だから、彼が実際に変な行為に及ぶと考えるのは無礼であり、馬鹿馬鹿しいし、意味の無いことだと思う。
 だが彼の映画の中には、何度も気になる点が登場する。それらの点に無関心ではいられないのだが、俺は精神分析医ではないし、この点に関して精神分析学的研究をして結論を出してくれるフロイトがいるわけでもない(当時同性愛に関して告発されたレオナルド・ダヴィンチに関する分析を連想した)。
 しかし、宮崎作品を知る者として、そして彼の映画を見たり、映画のようには滅多に存在しないいくつかのインタビューを読んだりして、彼について知りえたことからすると、俺が既に書いた次のような結論にたどり着くのではないだろうか:彼自身が言っているように宮崎は女性が好きだ。だからこそ、彼はいつも女性に重要な役割と重要なショットと与えてるんだ。そして、彼は特に幼女や少女が大好きだ。だからこそ、重要な役割を少年よりも少女に与えるわけだ。

追記:事実、宮崎がペドフィルであるという話は、もはや幼稚な、馬鹿馬鹿しい、あほらしい偏見ではないのだ。

-mastersly-
 宮崎の一連のアニメーション作品を見返して、俺はスカートとか上着の下に見え隠れするパンツの件を遂に理解したよ(そして、一部の噂好きやファンが考えていることもわかる)。
 『魔女の宅急便』を見ると、ほうきに乗って空を飛ぶいくつかのシーンの中で、白いパンティが見える。
 でもやっぱり、全くおかしなことだが、わいせつな感じではなく、「カワイイ」印象があるのだ。それだけではなく、リアリスティックな面と細部への関心もある。宮崎はペドフィルであるという主張を俺は馬鹿にしていたが、それも認めよう。
 だから、この話題に関して俺が言ったことについて謝る。いずれにせよ、彼のアニメはすべて、俺にとって我々を取り巻く世界(もちろんポジティヴな意味で)との関係をいつも何度でも考えさせてくれる傑作なんだ。<以下略>

-robinne-
 宮崎がペドフィルだと思ってる奴は、ここには誰もいないと思うけどな。
 日本のアニメーションや漫画に登場するパンティーについてのAnalyzerの分析は悪くないが、それは幼稚なエロティシズムだって言うわけか?
 どの宮崎作品に裸の少女が出て来たっていうんだ?

-Mayareel-
 『トトロ』だよ(お転婆っ子だからOKだがな)。父親と二人の娘の入浴シーンには気まずい思いをした。

-stef78-
 むしろ見てる側に問題があるんじゃ?
 『トトロ』に関して:子どもの裸はむしろ自然だろ?出産とかオムツを換えるシーンがあるたびに「ペドフィルだ!」と叫ぶわけ? 
 他の作品に関して:公園かどこかで遊んでいる少女のスカートがめくり上がったら、ペドフィルか?
 宮崎は人物の自然さとリアリティを捕らえようとしているのだ。これに対してお前は「そうだが一部のショットは避けることができたはずだ」と言うだろう。それは宮崎や彼の同僚がそのショットを不適当と考えた場合のみの話だ。結局、『トトロ』の場合はそうじゃ無かったってことだ。
 『ナウシカ』に関して:アハハハ、でもノーパンじゃないよ。


スレッドに貼られた画像↓を見て
Nausicaa-005.jpg

-charles31-

 宮崎先生に栄光あれ!!!


〜以上、訳終わり。


参照先


 *注1:保田道世氏ファンの方々にお詫び申し上げます。
 *注2:Miyazakiと表記した場合でも、Miyasakiと表記した場合でも、フランス語で発音するとどちらも「ミヤザキ」です。
 *注3:『風の谷のナウシカ』のDVDに収録されたオーディオコメンタリーで、庵野秀明氏が「宮さんは、女性の腰のくびれと胸のふくらみにだけはこだわりを持っていて、それが唯一のセックスアピール」というような趣旨の発言していたかと記憶しております。
 *注4:「人間とか社会は、その本心を隠すために、他者の持つ視覚的な欠点をいつも強く激しく非難する。でもその欠点に見えるものは、我々自身の精神的「倒錯」とか下卑た考え方が反映しているに過ぎないんだ・・・」。ロワイヤル氏に聞かせてやりたい・・・。
 *注5:こちらの事件のことかと。


 なお、『風の谷のナウシカ』正規版のフランス正式公開は去年でしたが、短縮改悪版(英語版)の『風の戦士たち』("Warriors of the Wind")が、1984年にパリの老舗映画館Grand Rexで行われた、第14回SF・ファンタジー国際映画祭で上映されており、審査員特別賞と観客人気賞3位を受賞したそうです。
 また、改悪版を訳した仏語版の『幽霊船』("Le Vaisseau Fantôme")(後に『星のプリンセス』("La Princesse des Étoiles)に改名して再販、テレビでも放送)が、ビデオカセットで1987年に発売されたとのことです。

posted by administrateur at 21:17| Comment(10) | TrackBack(0) | 風の谷のナウシカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
うーん、面白い。
日本でもパンツ履いてるかって話題になった記憶はあるけど、宮崎ペドフィル論争になるのが興味深い。
あれだけ有名な作品がフランスでこんな時期に公開とは不思議。著作権周りとか思ったけど、トトロも魔女の宅急便もやってるしなあ。
Posted by の at 2008年03月23日 12:29
あはは、さすがにノーパンと思った事はないけど、宮崎氏がややぺドなのは同意です。
まあ父親が5,6才の娘をお風呂に入れることすら違法な国もあるし多少価値観は違うかもー。
Posted by Pop-PeT at 2008年09月03日 02:25
パンツフェチは、ものっそい一般化されすぎてて、フェティシズムと気付いていない場合がある。
パンツは単なる布切れ。
宮崎氏による、ノーパン(に見える)とパンツのどっちがいい?という釣りだと思う。
Posted by ぷりりん at 2008年09月25日 01:24
私見だが、もののけ姫のサン他の女性は履いてないと思う
サンについては乙事主に弾かれて転がった時に履いてないように見える
でも結局映画観てるときにその視点はないけどな
キキがカボパンじゃなく普通のショーツだったらなんとなく直視できないだろうけどw
Posted by パヤオはロリだろ at 2010年10月28日 00:39
ノーパンかぁ。考えた事なかったwしかも、そこからぺドに繋がるのがすごいw
トトロのメイのパンツ出しは確かに言われてみれば、見えまくっていますが、ワカメさんのパンツを見慣れてるせいか何にも思わなかったなぁ。
Posted by at 2010年10月28日 02:31
個人的な認識で言えば、宮崎アニメでパンツを見せるという手法は”子供っぽさを強調する”という意味合いが強いと思ってる。
だって大人の女性のパンツは見せていないじゃない。

ようは無邪気であるっていう表現の一つだと思うんだよな。
小さな子供って堂々とパンツ丸見えで地面座ったりしてるし、下着を隠そうとなんてしてないでしょ。てか下着がどうのとか意識すらしてない。
恥ずかしい事であるとかそういう認識がまずないからな。

ま、上で外人さんが言ってるようにリアリティってやつだよね。
とはいえいちいちカメラをローアングルにしてまで見せる手法をとる必要性があるのかどうかまでは疑問だけど、まぁ無邪気な子供を表現しているんだな、というのは伝わる。
ただエロ目的で下着見せるならもっとドギツイやり方(見せ方)はいくらでもあるしねぇ。
Posted by 通りすがり at 2011年01月20日 06:46
どう考えてもノーパンなわけねえだろwww
フランス人も俺らと何ら変わんねえなおいwwwwwwwwwwww
うん、おまえらの眼が悪いw
Posted by クシャナ殿下万歳 at 2012年05月12日 17:38
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