2007年05月23日

セゴレーヌ・ロワイヤル氏によるアニメ糾弾(5)

 セゴによるアニメ批判、今回は「子ども向けテレビ番組は国家が監視せよ」との主張です。

〜以下、訳。

親の責任を軽減

〜〜以下、ロワイヤル『チャンネル変えまくり〜』から引用。

 放課後に[子どもを]迎えに来ることができない母親たち(*訳注1)、あるいは自分の留守の間の[子どもの]面倒を誰にも頼まなかった母親たちは、そのための手段や能力が欠けているか、あるいは単にこのようなことを考えもしないのであり、テレビがあるおかげで安心を得ている。
 テレビの前では、子どもは動かなくなり、テレビ画面の不思議な魔力に魅了される、とみなされている。子どもがどこにいて、熱心に何をしているのか分かるということだ。当然、テレビは良い番組を放送するという良識を持つもの、と考えられる。自分の帰宅が遅いことを非常に心配し、[その自分の不在の]代償として、テレビによって子どもの目や心を喜ばせ、楽しませようと考えている母親にとって、[このような認識は]極めて当然だ。母親が、ドロテが切り売りするアメリカや日本の「腸詰め」(boudinerie)(*訳注2)を知った時の失望感といったら!しかし、その場にいないのにどうやってテレビ番組に関する指示や禁止事項を[子どもに]言い含めることができるというのか?今日制作されているような子供向け番組それ自体を、[母親が]選別し、監督し、監視することが必要だということをどうして受け容れられようか?(*訳注3)なぜなら、それぞれの子供は――それぞれの大人のように――テレビからのメッセージを、心で受けとめ、また、その登場人物と同じように多様な形で受け止めるからである。

〜〜以上、ロワイヤル『チャンネル変えまくり〜』58頁から引用。
〜〜以下、Xerbias氏の分析

分析ここで日本のアニメーションは「腸詰め」と形容されており、3頁後では「最高にくだらないもの」(nulissimes)と形容されています。一般的にセゴレーヌ・ロワイヤルの本の中では、子どもたちが見ているものを親が監視する責任は肯定されていません。例えば、94頁と95頁で彼女は、子どもを監視するよう親にアドバイスした人に対して、「子どものいない人、あるいは[最大でも]48時間に過ぎないはずのフルタイムで働く負担のせいで子どもを持つことが全くなかった人が、このような素晴らしいアドバイスを出しているのだ」と[皮肉で]応答しています。従って、[セゴレーヌ・ロワイヤルにとっての]解決法とは検閲であり、可能であればヨーロッパレベルの検閲、ということになるのです。

〜以上、訳終わり。


 *注1:フランスでは小学校まで、親が子どもを送迎することが義務となっています。

 *注2:boudinerieの意味が分からず検索したところ、料理に関する隠語で「豚肉を使った料理全般」とか、カナダのフランス語で「ひき肉・ブーダン(豚の腸詰)」という意味があるようですが、どうも訳語としてしっくり来ません。いずれにせよ、ロワイヤル氏が、なにかとてつもなくネガティヴな意味でこの言葉を使っていることは確かなようです。

 *注3:Xerbias氏がその分析の中で引用しているロワイヤル氏の「皮肉」からも明らかですが、彼女の主張は、「母親が番組を選別・監視する必要はなく(特に仕事でそんな余裕はないため)、放送される時点で国家によって既に選別・監視されているべきだ」との主旨だと思われます。つまり、言葉自体は出てきませんが、検閲が必要だということです。このような主張の背景には、特に「働くシングルマザー」を保護したいとの考えがあるものと思われます。

参照先

posted by administrateur at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ロワイヤル氏のアニメ批判 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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