と言っても、第一弾ほど「首を傾げる箇所」は多くは無く、その分面白みには欠けるかもしれません。「ガイド」第一弾前半および後半に対しては、フォーラムで「あまりに表層的」という指摘も出ていましたから、今回の第二段はより客観的な記述に留まっているように思えます。今回は前半をご紹介します。
本文中で引用される画像は、参照先のページを開いてご覧ください。
アキバBlog様で、秋葉原に現れたフランス人オタクについての記事が紹介されておりました。思わず頬が緩んでしまいます。日本に興味を持ってはるばる「極東」まで来てくれるフランス人を大事にしたいものです。
〜以下、訳。
漫画とアニメを理解するための社会的・文化的小ガイド(2-1)
ジャパニメーション諸作品に頻繁に登場する場所
ご存知のように、現代を舞台としたアニメ(そして近未来のアニメ)には、様々な場所が登場します。その場所を検討してみましょう!(原注:他作品と比べて特定のアニメシリーズが頻出しますが、皆さんの好みに合わなかったらごめんなさい。^^)
学校(中学校と高校)
入り口:日本の教育施設は、他国と同じように侵入者や変質者を避けるため、壁で囲われています。棚の並んだホールのようなところで靴を履きかえ・・・、そして恋人に甘い言葉を言い残していくのです。
*参照先では、『Shuffle』の靴箱のシーン画像を引用。
屋上:都市では土地が限られているため、(教育施設の)建物の屋根は平たくなっています。屋上は、その眺めのお陰で文句無くくつろげるので、休み時間に「逃避する」(ちょっとした休憩や食事をする)若者には重宝されています。
*参照先では、『Shuffle』の屋上のシーン画像を引用。
滅多に登場することのない学生食堂があったとしても、大半のアニメで学生たちは、自分の食べ物を屋上に持って行きます。
*参照先では、『天上天下』の食堂のシーン画像を引用。
教室:「あぁ、教室ってほんとに陳腐なシーンの舞台としてほんとにありがち」、なんて思わないでください・・・。
*参照先では、『GIRLSブラボー first season』の教室のシーン画像を引用。
このように、教室、校庭、体育館といった建物としての学校は、結局[フランスとは変わらない]ありふれた場所です。しかし、例えば屋根つきの連絡通路、巨大な時計(日本では時間は厳守です)、そして一枚目の画像にみられるような非常階段のように、細部は異なっています。
*参照先では、『GTO』の学校の画像を引用。
道路
作中では、アニメーションの都合から、道路に人気が無かったり、あるいは人混みが動いていないにもかかわらず、雑踏の騒がしい音だけは聞こえてきたりします。この、音だけを使うテクニックではアニメが安っぽくなりますし、日本の都市は人で溢れかえっているにもかかわらず、最近のアニメではますます道路が「空っぽ」になっています。動かない車とクラクションの音で交通渋滞を表現したり、そうでなければ数台しか車が通っていなかったりします。
朝の登校時間:車は通らず、高校生だけ・・・。
*参照先では、『Shuffle』から登校のシーンを引用。
夜の街の中心部:こちらも車は通らず、主人公だけ・・・。
*参照先では、『Blood+』の画像を引用。
例えば、郊外の閑静な(もちろん人はいないし、車も通行人もハトもいない)・・・とにかく閑静な、主人公が突然登場するまでは閑静な(!)、住宅地の道路も登場します。
私の考えでは、このようにエキストラが出てこないことによって、アニメにシュールレアリスティックな雰囲気が与えられていると思います。もちろんこのことがアニメを楽しむにあたっての妨げになることはありませんが、このちょっとした欠点はテレビシリーズに顕著です。アニメ映画にはエキストラを雇う金があるようですが^^。
加えて、道路はしばしば追跡の場として登場します。あらゆるジャンルのアニメにおいて、(軍隊、警察、情報機関から)強制的な命令を下された武装者や超能力者、ギャング(少年、ヤクザ、殺し屋・・・)、魔法少女、スーパーヒーロー、(奇怪な、悪魔のような、あるいは巨大な)生物、ロボット・・・が対決するのが道路なのです。
しかし、[破壊された]都市が再建される様子は滅多に見ることがありません。あくまで娯楽作品なのです。
資金が潤沢なアニメ映画は、『AKIRA』のように、群集を動かすことができます。『劇場版 攻殻機動隊』は市場の雑踏さえも描いて見せました!
*参照先では、『劇場版 攻殻機動隊』の画像を引用。
水路
アニメを信じるとするなら、[日本の]あらゆる町や村には水路が張り巡らされているようです。
河川敷は原っぱや空き地として使用されており、つまり、街の自由地帯なのです。(一般的にコメディでは)静かな場所であったり、(少年同士が戦うアニメでは)荒廃していたりします。
このような場所に入り浸っている僕のような人間は、街の水路や小川の土手の特別な雰囲気をよく知っています。皆さんにもこの雰囲気を味わって欲しいです!^^
*参照先では、『Shuffle』の夕方の堤防のシーンを引用。
木製の小さな橋・・・
小川の上に渡された小さな橋、この場所は、両岸の間に位置し(従って常に目立つ)、水の流れの上に位置する(流れ行く生と時間を表象している)、という点が象徴的です。この橋の上で、抑圧された昔の記憶を取り戻すこともあれば、永遠の愛の告白をしたり、守るべき約束を思い出したりすることもあるのです。
*参照先では、『MUNTO』の画像を引用。
注意すべきことに、アニメの物語が激しいものであったとしても、中心人物である二人の[恋愛]関係を盛り上げるために、「ヴェネツィア」のような雰囲気を表現してまでこの小さな橋を登場させようとします。そうなんです!この橋の上では、二人の若い恋人のために敵対集団が遠慮して身を引くのです。
*参照先では、『忘却の旋律』の画像を引用。
幼稚園
アニメにおいては、幼稚園がとくにノスタルジックな場所として登場します。
この場所は、にぎやかで楽しいところとして描かれます。このことを理解するためには、日本の社会を見る必要があります。勉学の世界は学生にとって辛く、悩みの種です。多くの少年や若者がこの場所に思いを馳せ、失ってしまった憂いのない幼年時代を捜し求めるのです。
*参照先では、『AKIRA』の画像を引用。
アニメにおいては、この慰めようの無いノスタルジーが、幼稚園を通して現れます。青少年は、もはや幼年ではなく、幼稚園では歓迎されざる者です。この悲しみに満ちた場所は、「辛い」、不幸な、あるいは恵まれなかった幼年時代を強調するために使用されることもあります。
*参照先では、『Shuffle』の画像を引用。
この場所の中で描かれる登場人物は、未だ幼年時代を抜け切ることのできない、迷える子どもや青少年です。例外として、『愛してるぜベイベ』や、子供向けのアニメ番組があります。
このノスタルジー性に背くことなくよりオリジナルな表現を行った、極めて模範的な例があります。『Black Lagoon』の最終話では、暴力的でセクシーなヒロイン、レヴィが、おもちゃのピストルを持ってやってきた子どもたちに、一緒に遊びたくてもレバノンに出発しなければならない旨を伝えます。しかし次の瞬間、子どもたちの遊びを通して、彼女が全く経験することのなかった安心に満ちた幼年時代に入り込むのです。脚本家が伝えようとしている、「それができるうちは子どもに過ぎないのだ、ということを認めよ・・・」、というメッセージをそこに見出さないわけにはいきません。
風呂場
公衆浴場であれ、温泉であれ、浴室であれ、『ラブひな』、『グリーングリーン』、『らんま1/2』・・・、とにかく頻繁に登場します。アニメ鑑賞ガイドその1もご覧ください。
日本の家庭の浴室に関しては、以下の画像のようになっています。
*『ガールズブラボー』の画像を引用。
先に体を洗うために、シャワーが浴槽の外にあることにお気づきでしょう(*訳注)。
ショッピング
雑貨や衣服を買ったり、スーパーで食べ物を買ったりするシーンは、現代や近未来を舞台としたアニメに限られます。これらの場所を使用するのは、そのアニメシリーズをリアルな日常生活に根ざしたものにしたいという意図によるものです。
*参照先は、『ガールズブラボー』、『涼宮ハルヒの憂鬱』、『Shuffle』の画像を引用。
縁日や市場が登場することもあり、「普通なら」いかなる危険もないはずの「中立地帯」として描かれます。
*参照先は、『Black Lagoon』の画像を引用。
作成者:金属殿様(Metallord)
〜以上、前半の訳終わり。
*注:言われてみれば、フランスの浴槽付きの浴室では、浴槽の上にシャワーが取り付けられているタイプが普通です。そもそも浴槽が無いタイプが多く、その場合は狭いシャワー箱(とでも言うべき仕切られた空間)が洗面所に取り付けられています。日本のように浴室の床にお湯が流れる、ということはあり得ないわけです。
後半はこちら。
参照先