2007年07月14日

フランス人の『ラピュタ』性的解釈論争

 『天空の城ラピュタ』についてのフランス人の解釈論争を、映画総合サイト「アロシネ」のスレッドから抜粋してご紹介します。

 作る側の欲望が先なのか、観る側の欲望が先なのか、鶏とタマゴ。

 「ナウシカノーパン伝説」論争との姉妹編?

〜以下、訳。

性的象徴について

dhjapan
 僕はこの映画が大好きなのだが、他の人が気付いていない、たくさんの性的象徴に気付いてしまった・・・。誰か気付いた?
 OK、みんなに説明してみよう。

 「テクノロジーも行き過ぎはいかん。自然の方がいい」というメッセージの他に、二人の主人公が人生と性について学んでいくところをこの映画に見て取ることができる。
 (自分が馬鹿かもしれないってのは分かってる・・・。間違ってるかもしれないけど、あながちメチャクチャな議論でもないと思うんだ・・・。)
 さて、先ずシータの飛行石は彼女の性を象徴し、ラピュタは男性性を表象しているということについて考えてみよう。

 −パズーは、たとえシータの持つ石の魔力を目にしなかったとしても、シータに強い興味を抱くことになると思われる・・・。それまでの彼の人生には、女性がまったく存在していないからだ・・・。(我々男子は、いつ初めて女の子に興味を抱くのだろう?それは女の子という性が存在することに気付いた日からではないだろうか?一種の魔法だよな・・・。)

 −次に、この二人の子どもの行動を思い出して欲しい。
 シータが目覚めた後、パズーは石に並々ならぬ興味を示すけど、実は、それはシータに対してではない。彼は飛んでみようとするが、シータでなければ魔力は発揮されない・・・。(これは「オナニー」ということか、とちょっと思った。)

 −次にこの石は、まずラピュタを、あるいはむしろ、パズーの父親が撮ったラピュタの写真を、二人に思い出させてくれる。この時少年は、少女と出会ったことによって、男になりたいという欲望が自分にあることを自覚したのだ(このことはラピュタが男性性を表象していると考えればつじつまが合う)。僕は「欲望を自覚した」と言った。なぜならそれまでパズーは、ラピュタにたどり着くことができる(=男になる)と確かに[ぼんやりと]思ってはいたのだが、それは自分の作る飛行機によるものであり、その飛行機はおもちゃに過ぎず、石の魔力に及ぶべくも無いからだ。シータ自身はラピュタにそれ程魅かれてはいないが、それでもやはり一定の憧れは感じていて、パズーにとっていかにラピュタが重要かを理解している。

 −その後に続く冒険を通して、二人の主人公は目覚しい成長を見せる。そして、石の魔力を確かめあっていく。彼らは、石の力を確認してくれる経験豊富な炭鉱の老人にも出会う。パズーは海賊たちに捕まり、海賊の母親が、勇気ある男の役割を果たし、シータを守るよう説得してくれる・・・。対照的に、彼女[=ドーラ]自身は自分の性的経験に自信を持っている。そしてついに、パズーとシータは海賊の下で再会する。この点は、性というより、人生の方に関係していて、『千と千尋の神隠し』と同様、彼らが再会する条件とは、労働なのだ・・・。

 −そしてついに、二人の主人公が、ラピュタへの道を阻む雲を通り抜ける瞬間がやってくる・・・。ここで、シータが恐怖を覚え、耐えてさえいるのに対し、パズーは自分の役割を果たし、二人をラピュタへと導く・・・。このシーンは、俺が思うに、彼らの初めての性的関係を象徴しているのだ・・・。雷雲の中で、パズーは自分の父親の幻影を見る。このことは、パズーが父親と同じ道を辿り、今や父親と同じく一人の男になったことを意味している(個人的なことだが、初体験の時、僕は自分の父親の幻影は見なかった・・・。さらに言わせて貰えば、この映画に見られるような人生観にはまったく同意できない)。ついに彼らはラピュタの上に立った・・・。おそらくみんなは、パズーがシータに石を見せてくれるよう頼む[映画前半部の]シーンのことがわからなかったと思う。でも、このシーンでは二人が互いに固く結ばれているという点からして、僕と同じようにみんなも何かを読み取ることができると確信を持っている。

 −パズーは遂に男性性を得て、一人の男となった・・・。しかし、ラピュタ(=男性性)の力は別の一面も持っている・・・。それは破壊の側面であり、驚くほど若い顔をした奴[=ムスカ大佐]を通してそれが現れる。彼は男性的ではなく、一人前の男ではない。彼が[ラピュタの]力を欲しているのは、自分には男性性が欠けているということに不満を持っているから、と見ることができる(設定としてはありがちだが・・・)。

 要するに、次のようなメッセージが込められているのだ。男性性は少年を男にしたが、この男性性は今や葬り去らなければならない。なぜならそれは破壊的にもなる可能性があるからだ・・・。従って二人はラピュタを破壊する。二人の主人公が手を取り合って下したのは、この決断だったのだ。そしてシータも一人の女となった。

 というわけ。


scaar
 ブラヴォー!宮崎作品を貶める君の説に100%賛同するよ!
 冗談抜きで、宮崎作品に繰り返し現れるテーマからして、この年寄りのオタクは明らかに自分のロリコン(lolicon)趣味を隠そうともしていない。
 日本人って、彼らのsensei[=宮崎駿]までもが陰気だよな!

fabandflo
 すばらしい!

cathie
 あなたちょっと頭おかしいんじゃないの?(笑)
 ・・・ということは、ラストでラピュタに陰毛[=木の根のこと?]を根こそぎ持っていかれたってことね・・・。可哀想な少年・・・。

artinternational
 面白いね。ありうると思う。
 みんなはどう思う?リアクションを!

Mnuff
 この変態が!!!!!!
 多分フランスで(あるいは世界で?)この作品に対してこういう[性的な]テーマの非難を浴びせているのがお前だけだ。どんな映画に対しても思ったことをなんでも言うことはできるがな。

MOG
 この分析に何が言えるっていうんだよ!この分析は独創的だが、宮崎は自分の映画に関してこんな批判があるとは思ってなかっただろうな。宮崎の無意識を明らかにしたつもりだろうが、お前だけしかこんなこと考えないし、お前の解釈はいい加減なだけだ(お前の理屈が成り立つことは一応認めるが)。宮崎の問題意識とはまったく関係ない分析だが、単にお前の映画解釈が変なだけだ。
 宮崎はオタクだとScaarは言うが、オタクという言葉の意味を完全に誤解していると思う。

scaar
 宮崎はオタクだったし、俺はオタクの意味も知ってるし、日本語をまったく知らないわけじゃないから日本語でオタクが何を意味するかも知ってる。それに、宮崎をよく知っている女性漫画家(une mangaka)と仕事をしてるから、宮崎がオタクであることは断言できる。いずれにせよ、彼の[作品における]世界観や若者と性の関係は、間違いなくノスタルジックな欲求不満から生み出されているのだ。お前が考えているように、彼は想像力豊かで、天才的だが、オタクなんだよ(オタクという言葉の意味すべてが当てはまるわけではないだろうが、オタクの世界観を彼が持っていることは確か)。庵野のような他の奴らのようにな。

Schizo
 映画館の入り口に「精神分析禁止!」って掲示すべきだ!

dhjapan < MOG
 えーっと・・・。
 宮崎は芸術家だ。芸術家として彼は映画の中で何を主張したいかについてずっと考えてきたんだと思う。彼は、映画に現れるものすべてを意識しているし、自覚している。
 宮崎はおそらく自らの内面にある無意識ということについてもよく理解していると思う。彼の映画を見て君は、間違いなく意識的というよりむしろ無意識的に、楽しいと思うだろうが、これは、君の無意識下のことも宮崎がとてもよく知っているからだ・・・。
 では、宮崎は君の溢れんばかりの無意識に何を語りかけているのだろう???・・・もし宮崎が無意識にそれをやっているとしたら、我々は宮崎作品を好きになることはないだろうし、僕の分析も意味がなくなる。
 僕は自分の分析が完全だとは思わない。だれかが言っていたように「ありうる」のではないかと思ってるんだ。

StopSleepingThe < dhjapan
 とても説得力のある分析、すばらしい!
 このスレッドの反応の大半は君の見解に対してネガティヴだが、誤解があると思う。
 君の議論が納得できるもので、論理的で、面白いことは明白だ。
 ここまで入念に読み込んだ議論を見たことはない。
 何人かの奴が忘れてしまっていると思われるのは、『天空の城ラピュタ』で語られているのは通過儀礼(initiation)であるということだ。それに、宮崎作品の多くが通過儀礼的な冒険の形をとっている。そして、特に宮崎作品の登場人物は一般的には青少年だから、通過儀礼の際には当然、性の目覚めが伴うものなのだ。
 同じように忘れられているのは、この性的な通過儀礼に関して、一般的に童話が教育的な役割を持ってきたということだ。グリム童話や、ディズニーで繰り返される童話でさえ、そう言うことができる。要するに、アニメーションは子どものための童話から発展したものであって、明らかに教育的な機能を持っているのだ。
 ラピュタに頻出する性的な象徴的表現に関して、君に同意するのは以上のような理由からだ。それから、これは理論に過ぎないのであって、真実を言い当てていると主張するわけではない。
 いずれにせよ、この説が理解できない人の、そのあまりに主観的な見方に当惑してしまう。つまり、この説は、宮崎作品の価値を貶めるものではまったく無い。単に、この映画についての読解水準に関して徹底して疑問を差し挟めばいいのであって、俺は素晴らしい出来だと思う。

Raizen < dhjapan
 君の議論読んだよ。シータとパズーの関係に関する議論すべてが一見してメチャクチャなものに思える。君はむしろ、この映画の中に性的な象徴を見つけたいと既に思いながら、この映画を見たんだろ?
 こういう象徴は『もののけ姫』にも見つけることができる。もちろん難癖をつけるつもりは無いんだが、君はもう既に以下のように考えてるんじゃないかな。
 アシタカは自分の土地(慣れ親しんだ土地・・・つまり彼の父親)を離れる。なぜなら彼は自尊心を傷つけられたからだ([タタリ神によって]負わされた傷がそれを象徴している)。従って彼は、この恥辱をそそぐ(laver)ために(俺は「そそぐ」という言葉を使っているが、ラストでの「浄化」(”lavage”)シーンではomo micro[=強力洗剤の商品名]のタブレットを連想した)男にならなければならない(=シシガミをみつけるということ)。
 それに、アシタカが重傷だったとき、サンは口移しで食べ物を与えていた。これは正にありふれた象徴だって言うんだろ?
 要するになんでも結びつけて言えるわけだ(特に宮崎作品では、いたるところでそれができる)。
 いずれにせよ、君の指摘は正しいかもしれないし、俺はそれに従って上記のことを書いた。
 俺が君の分析をメチャクチャだと思ったとしても、頭がおかしいとは思わない。ただ、破壊の力としての男性性に関して、君が兵隊たちの死に関して言及していないのは驚きだ。
 君の議論によるとすれば、他の人間たちがラピュタにたどり着いたということは、パズーが持つ男性性に対する脅威ということになる。だから兵隊たちは殲滅され、[パズーは]少年から男になった。パズーは男のたくましさをそのことによって得た。ということだろ?
 誰も指摘していない点が他にもある(他のフォーラムでも指摘されていない)。それはシータと海賊たちとの関係だ。彼らはシータに恋するわけだ。ということは、君の説明に従わせてもらえれば、この関係は君の性的象徴においては「ペドフィル」と呼ぶことができるってことだね。

dhjapan < Raizen
 パズーの男としての地位が脅かされたとは思わない。
 ラピュタはパズーにとっては男性性の象徴であって、彼に関する、彼が男になる話だ。
 [それに対して]他の登場人物にとっては、ラピュタは力の象徴。
 事実、宮崎はそれぞれの冒険にそれぞれの結末を用意している。
 −(たくましい男になるという)パズーの冒険は、他の登場人物の場合のような、破壊的力を追い求める冒険にはならずに終わったのだ。
 −物語全体のテーマとして、宮崎は、技術の進歩は自然よりもそれが強大になろうとする前に押し止めなければならないと主張している。
 説明するのは難しいけど、僕の見解を理解してくれることを期待している。

 次に、海賊とシータの関係だけど、彼らの間にはなにも起こりえなかったのだと思う。というのは、海賊たちは(過度に独占欲の強い母親と、父親の不在が原因で)一人前の男にはならないだろうし、これからもずっと子どものままでいるからだ。
 海賊の母親と、炭鉱のおじいさんが、僕にとっては一番興味深い登場人物だ・・・。海賊の母親はとても男性的で、宮崎が若いパズーの役割をはっきりさせるために、このような登場人物を設定したのだということがよくわかる。なぜならパズーに、シータのために騎士的な勇気ある行動を取るよう促したのは正に彼女だからだ。さらにパズーとシータの関係を深めるのにも一役買っている(この子どもたちに彼女がしてやれることは無かったけど・・・)。
 もし違う意見があったら喜んで読むよ。

Kenta < dhjapan
 お前の論理には仰天した。二つの解釈があると思う。
 −欲求不満がたまっているのは先ずお前であって、お前が自分の性的衝動をこの映画に吐き出したという解釈(俺はお前のことを知りようが無いが)。
 −宮崎が無意識に、自分自身について、そして自分の精神について、[映画に]残したものをお前は知ることができた。そのお陰で、この映画の精神分析に関する小講義を開くことが出来たという解釈。

 いずれにせよ宮崎も男なんだから性的衝動もあるだろう。
 でも、ヒロインがいつも少女であるとしても、宮崎はシータがベッドで悶えるところを見たいんじゃなくて、子どもの美しさとか無邪気さを見たいんだと思う。
 お前の主張を支持すべきなのかよく分からないけど、再検討が必要だろう。

 ちょ、なんてことだ!一つ、疑問がわいてしまった・・・。
 まさかトトロは、幼女が喜んで撫でたり触ったりする、毛の生えた巨大な男根を表象してるんじゃないよな?
 宮崎ってなんて酷い奴なんだ!

griffonnos 確かにそう見える!ペドフィルだ!

scaar
 そのとおりだ!

stef78
 おぉ、結局人間って性的なことばっかり考えてんだな。酷いもんだ!

charles31
 アハハハハハ、お前の想像力は悪くないと思うよ!
 俺の考えも聞いてくれ。

 『もののけ姫』は人間と自然の闘いの話じゃない。単に獣姦の話だ。
 もののけ姫がオオカミの血を吸ってるんだから当然。宮崎は18歳以下でも視聴可能な映画を作ることが出来ないってことだよ。

 宮崎先生に栄光あれ!!!!!


〜訳、終わり。

参照先


 なお、『天空の城ラピュタ』(1986年)のフランス劇場公開は2003年1月15日。スレッドも2003年1月19日に立てられ、書き込みのほとんどは2003年1月から3月まで、最後の書き込みは2006年12月です。

posted by administrateur at 21:20| Comment(7) | TrackBack(0) | 天空の城ラピュタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
笑わせてもらいました
Posted by at 2007年11月10日 23:37
お楽しみいただけたようで幸いです。
よっぽどジブリ作品が好きなんだと思います(笑)。
Posted by administrateur at 2007年11月11日 23:57
きもい解釈ですね

Posted by at 2009年01月22日 15:06
boy meet girlはこの作品のテーマのひとつだから、最初はあってる。
その後の解釈がいきすぎで気持ち悪い・・
Posted by at 2009年05月03日 20:48
精神分析家ごっこって、まさに自己紹介乙になるだけなんだよね
Posted by at 2011年02月14日 00:03
フランス人って、かなり溜まってるんだね
Posted by スミー at 2011年02月21日 18:45
オレ的裏設定って性的な解釈多いよね。
多分ジブリに限らずなんでもそう見ようと思えば性的な意味を後付けできる。
もののけ姫も言われてるけど歴史背景とか日本の土着的宗教観とか知らないと単なる想像レベルになると思う。
Posted by at 2011年12月11日 01:15
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