2005年にパリ市庁舎で開催されていた原爆展に行った際、この作品の存在をたまたま知りました。原爆投下を扱った漫画として、『はだしのゲン』と並んで紹介されていました。
原爆展そのものはそれ程規模の大きいものではありませんでしたが、ホールの一角でフランス人の若者数人が千羽鶴を折っているのを見て、少なからず感銘を受けました。
『夕凪の街 桜の国』のフランス語版は「Le pays des cerisiers」(直訳すれば『桜の木の国』)という題名で出ています。参照先に表紙画像が掲載されています。
〜以下、訳。
夕凪の街 桜の国 広島、空が真っ赤に輝いた後
2006年5月にKana社から一話完結作品として出版
1945年8月6日月曜日、アメリカの爆撃機B−29エノラ・ゲイ号が広島に最初の原子爆弾を投下し、瞬時に8万人の人が死に、その後5万人がその時の怪我で亡くなった。この数字は、爆発の直接的な犠牲者を数えたものに過ぎない。
『夕凪の街 桜の国』は、生存者たちについての、家族についての、あるいは少なくとも生き残った家族についての、そしてその子孫たちについての物語である。あの惨劇をいかにして乗り越えるのか、この問題は世代から世代に受け継がれていく遺産となる。
過去の重圧を背負って生き延びるということについて、こうの史代は正確に、そして簡潔に原爆の災禍の後日談を描く。
祖母と孫娘の間には、原爆があった・・・。
生き延びたという罪悪感
1955年、「夕凪の街」広島。平野皆実は、自分の職場のちょうど前にある洋服店のショーケースにある服と同じものを、職場の同僚と作ろうとする。夜になると、彼女は徒歩で帰宅するが、その道を進むにつれて周りの様子が変わってくる。先ず新築の建物の並びを過ぎると、寄せ集めのもので建てられたバラック小屋が見えてくる。スラム街に入り、彼女は歩き続ける。しかし、広島での惨劇から10年を記念した原水爆禁止世界大会の開催を告げるポスターの「原水爆禁止」との文字に彼女は無関心だ。あれからもう10年。ある男が彼女に言い寄るが、彼女は邪険にこれを拒む。多くの人が死んだにもかかわらず思う存分に生きるということが彼女には出来ないのだ。
第一部は、原爆の生存者の日常を語るものである。
説明的な注釈を加えれば、夕凪という言葉は、夏の夜に海風が止み、陸風が吹く時間帯を意味する。陸風はほとんど吹かないため、重苦しく、暑く澱んだ気候となる。この漫画を読んでいて、このむっとするような空気の重さを感じることは無く、逆に、丸みを帯びた絵と、最初のページの穏やかな色調のお陰で、むしろ無色透明で軽妙な印象を受ける。このコントラストは、物語の内容が[読者に]分かり、物語が伝えようとしているメッセージが非常に衝撃的かつ恐ろしいものでしかないことが明らかにされる時、突き刺さらんばかりの効果をあげることになる。
彼女のような不幸にあっても、生存者たちは品位を失わず、まるで沈黙によって惨たらしい時間の記憶を覆い隠すかのように、空が真っ赤に輝き、黒い雨が降ったあの惨劇についてほとんど語ろうとはしない。しかしながら、何千もの焼け焦げた遺体でいっぱいの河や、せせらぎの音をかき消す瀕死者の喘ぎ声を思い出すため、橋を渡ることを怖がる皆実のように、生存者たちはちょっとしたことであの時の恐怖を繰り返し思い出させられる。
この傷つけられた人々は表面的には品位を失っていないが、その裏には深い諦めの念が隠されている。「わかっているのは『死ねばいい』と誰かに思われたということ。思われたのに生き延びているということ。そして一番怖いのはあれ以来本当にそう思われても仕方のない人間に自分がなってしまったことに自分で時々気づいてしまうことだ」。不正に対して暴動を起こしたり、声をあげたりすることも無く、ただ生き延び、生き続けようと努力している。人生は終わらないのだ。
このような経緯を経て、皆実は自分のトラウマを克服するに至る。亡くなった姉妹に対して抱く哀悼の念から、彼女は姉妹たちの分まで存分に生きようとする。しかし運命は皮肉なものである。正にその時に、彼女は「ピカの毒」により倒れてしまう。
「十年経ったけど原爆を落とした人はわたしを見て『やった!また一人殺せた』とちゃんと思うてくれとる?・・・てっきりわたしは死なずにすんだ人かと思ったのに」。
付け加える言葉も無い。この言葉はシンプルであり尚且つ残酷だ。原爆は、戦争が終わったにもかかわらず、人を殺し続けるのだ。馬鹿げたことなのだがそれが事実なのだ。
最後の挿画を含めてたった35ページの中で、こうの史代は原子爆弾投下の問題性を改めて語るわけではなく、この悲劇についての評価は我々に託されている。この作品の惨劇の中に入り込み、繰り返し脳裡に去来するのは「なんて酷い!」という言葉だ。
第二部はより長く、より普通の話の『桜の国』であり、皆実の弟、旭に焦点が当たる。緒戦のうちに疎開し、安全な伯母の家にいたのだが、広島に戻ってくる。
過去の重圧と記憶の作業
旭は広島の母の下に戻り、そこで少女と出会う。仕事の都合で東京に転勤する際、彼女を家族の一員として移り住むことになる。
2005年、彼は既に定年を迎え、一人で怪しげな旅行に出かける。彼の娘、七波はそれを心配している。そして彼女はこっそりと彼の後をつけることにする。この旅行によって、彼女は思いがけないものに出会うことになる。すなわち、半世紀の時間が流れたにもかかわらず、今も変わることのない原爆投下という過去への回帰である。
この物語の第一話は、七波の子供時代の話であり、第二話は過去への回帰、そして七波の父親が東京に来る前に広島で生活していた時のことに焦点が移る。
「桜の国」は、「夕凪の街」よりは辛い話ではなく、また重苦しくも無い。七波は、学校の女友達に囲まれ、スポーツが好きで、へまをした時は叱られる、平凡な一人の女の子である。しかし、家族に目を転じると、彼女の母親は若くして死に、彼女の祖母は最近病に倒れただけでなく、彼女の弟は重度の喘息を患っている。このような状況から、彼女と彼女の父親は治療を受けるために病院の近くに引っ越すことを余儀なくされる。
大人になった彼女は、人生を存分に楽しんでいる。父親の後をつける際に、住所が変わって以来音信不通だったクラスメートに再会する。彼女たちは一緒に、旭が向かう広島へと旅をすることになる。
原爆の二次被害の規模と長さがこの物語の背景にある。多くの生存者が被爆して何年も経ってから死んだ。この漫画家は、彼ら生存者が悩まされた偏見も描いている。彼らは「被爆者」、すなわち原爆の被害者という彼らの状況をそのまま意味する言葉でありながら、差別的な意味合いのある呼び方をされることになる。しかしながら、彼らは嫌がることも無くこのレッテルを受け容れる。驚くべきことだが、彼らは素直に、彼らの「この状況を引き受け、耐え」ているのであり、尊敬に値する。
彼ら被爆者の子孫も、生まれる以前からこのレッテルを貼られることになる。[被爆者の]子供たちに責任を帰すべきではないし、彼らの両親や祖父母が成したことについての結果をこのように引き受けるべきでもないはずだ。
曖昧で語られることのない驚くべき現実。彼らは原爆のせいで病気なのか?彼らの両親は何が原因で死んだのか?しかし、原爆はそれ自体としては[彼らの]死の理由にはなるべきではないはずだ。子孫たちも、若くして死ぬことになるのだろうか?
皆実が最後に考えていたことがここで力強く心に響く。五十年経った今も人が死に続けている。[原爆を投下した人の]『やった!』という思いは今もあるのだろうか?果たして一つの見解に過ぎなくなっているのだろうか?
広島の物語に話を戻そう。フラッシュバックをちりばめながら、1955年と2005年の間で父親の過去がその娘の現在と共鳴し、歴史を記憶するという役割が果たされ、その意義が明らかとなる。
七波はこの街を歩いたことはこれまでなかった。平和資料館を見学したり、特に死亡期日と年齢が刻まれた墓碑を訪れるくだりは強い印象をうける。墓石に刻まれた名前は、一連の歴史の本よりも雄弁である。「平野天満、1945年8月7日、41歳;平野翠、1945年8月6日、12歳;平野霞、1945年10月11日、15歳;平野皆実、1955年9月8日、23歳・・・」。
後ろには原爆ドーム(*原注)が今も立っている。
こうの史代はあとがきで、原爆の惨禍から自分はいつも逃げてきた、と述べている。この作品を彼女が描いたのは、彼女自身がこの問題から無縁でいようとしていたからである。彼女はこの態度を無責任なものと断じた。読者も同じ態度をとっており、広島は縁遠く、昔の話であるということを彼女は痛感させられる。しかしそれはあまりに酷い過ちなのだ。
それゆえ『桜の国』は、過去を忘れることなく、明日のわが身がどうなるか分からないからこそ我々に与えられた時間を有効に使おう、という警鐘なのである。
彼女は、「私はいつも真の栄誉を隠し持つ人間を書きたいと思っている」というアンドレ・ジッドの一文を好きな言葉として、完璧な漫画を我々に与えてくれた。
原爆被害者の子供たちによる反対の意思と、現在この惨劇に直面する世代による拒否感は、「二度と繰り返さない」ということに関するどれだけ長い話よりも、耳に届くものであり、説得力がある。原爆は人道に反する。なぜなら夏が来るたびに夕凪が訪れ、春になるたびに桜が咲くように、その被害は続くからである。それでも希望はある。この作品で描かれた恋はそれを最も雄弁に物語ってくれている。
『夕凪の街 桜の国』は2005年5月に日本で手塚治虫文化賞新生賞を受賞した。
『夕凪の街 桜の国』、必読の作品である。
Sabine soma
*原注:原爆ドームは原子爆弾が投下された後、唯一残っている建物。この廃墟は今日も平和を祈念する建物である。
〜以上、訳終わり。
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