2007年度アングレーム国際バンド・デシネ・フェスティヴァルで、最優秀コミック賞を受賞したことにより、この作品と水木御大のフランスでの知名度がグンと上がったようです。Amazon.frやブログを散見した限りでは好評の模様(29ユーロという値段の高さについては不評)。
Cornélius社の公式HPで、フランス語版『のんのんばあとオレ』(NonNonBâ)が一部紹介されています。これをみると、絵と一体化した擬音はそのままにして、コマとコマの間に小さく訳語を載せているようです。しかし、全ての擬音を訳したわけではないようにも見えます。同社からは今年に入って『ゲゲゲの鬼太郎』もKitaro le repoussant(敢えて訳すなら『鬼太郎・嫌な奴』?)の題名で翻訳版が三巻まで出ているようです。
〜以下、訳
『のんのんばあ』は、現在出版されている他の作品とは対照的な作品だ。この作品のスタイルは、その画風に関しても物語に関しても、過去からやってきた古めかしいものに見える。この作品をありがちな言い方でまとめれば、以上のようになるだろう。
この作品を読んで誰もが最初に指摘することは、おそらく作者の画風についてであろう。作者のテクニックや描き方は1950年代から60年代にかけて見られたものである。この最初の点からして読む気が失せてしまったとしても、この作品を読んでみれば、この作者の画風のおかげで、1930年代初めの日本、すなわち一方で伝統と民間信仰が、そしてもう一方でモダニズムと技術革新が人々に共有されていた時代を舞台として、最も効果的に物語が再現されていることに気がつくことだろう。また、作者の画風のおかげで、極めて魅力的で不思議な、たくさんの怪物(妖怪や精霊)や風景(天国や日本の景色)が登場する日本の民間伝承を、素晴らしい絵によって知ることが可能になった。
脚本に関しても同様である。この物語は、さまざまな登場人物と出会いながら、まったく正反対の世界観の間で揺れ動く少年、茂の冒険物語である。さまざまなテーマが扱われているが、特にのんのんばあの話や助言を通して、日本の民間伝承の中の精霊や死者の世界が中心に扱われている。のんのんばあは一見ぱっとしない老婦だが、逆境にある主人公にとって最も頼りになる助言者であることが明らかになる。のんのんばあが登場するくだりはユーモアたっぷりに語られる。というのは、(良いものであれ悪いものであれ)精霊たちはいつもおどけていて、ちょっと頭がおかしいからである。また同時に、この作品には厳粛さも満ちている。のんのんばあが言うことは明解である。すなわち、たとえ想像上のものに過ぎないとしても、結果がどうあれ精霊や死者を常に尊重すべきである、ということである。映画を趣味とする主人公の父親が映画館を開き、主人公の母親や祖父を困らせるくだりも面白い。
しかし、このようなユーモアに満ちた場面の裏に、(主人公と同じ名前の)作者は、日本史に関する重大なテーマをも取り扱っている。たとえば、死や病気、田舎から都会に売られていく少女たちといった当時の風景である。また、1930年代の初めの物語であることから、軍国主義の高揚も描かれている。軍国主義の影響は子供たちにも見て取ることができ、彼らの主な娯楽とは、戦場に向かって行進していく戦争ごっこなのである。そして、ガキ大将の命令に逆らったものはただちに村八分にされ、仲間から除け者にされる。いずれにせよこのような状況もユーモアたっぷりに描かれ、のんのんばあと精霊たちがいつも活躍するのである。
要するに、この漫画は1930年代初めの日本の日常風景と、作者の幼少期の自伝を見事に描いて見せた作品である。
個人的な見解だが、日本の現代アニメーション界の重鎮として宮崎駿がいるとすれば、水木しげるは漫画界の重鎮にふさわしいと強く言いたい。なぜならば、突き詰めればこの二人の考え方や語り方は似ているからである。二人とも戦争を嫌い、日本の呪術や民間伝承を作品の中心としており、そして二人とも現代社会に対する批評的な眼を持っているからである・・・。
従って『のんのんばあ』は、日本の伝統、社会、歴史を学びたいと思う人にも、あるいは単に楽しいひと時を過ごし、頭を使わないで面白い本でリラックスしたいと考えている人にもお薦めしたい、とても良い作品である。
Nakei1024 10点中9点
〜以上、訳終わり。
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