『孤独のグルメ』評をOrient Extrêmeからご紹介。谷口作品は、マンガと言うよりバンド・デシネとしてフランスで高く評価されている模様。
気取っていて、繊細で、量が少なくて、どこかよそよそしい、いわゆる「フレンチ」よりも、気楽で、豪快で、大盛りで、庶民的な、「本来の」フレンチの方が好きです。
〜以下、訳。
孤独のグルメ(Le Gourmet solitaire) スローライフのすすめ
Sakka社から[2005年に]翻訳出版。
彼は普通の人間。他の人と同じように風俗に行くこともあるヒッピー嫌いの男。自然食の利点が理解できないタイプ。せっかちに動くことはなく、日常の喜びを楽しんでいる。個人経営の商売は順調(彼が全くの一人でやっている)。そして過去の幾多の恋物語をノスタルジックに思い出す。30代の東京人で身なりは良く、いつも順応主義的。彼がCPE賛成派だったとしても驚きではないだろう(*訳注1)。しかし、嫌味な人間というわけではなく、料理を味わい、新たな料理に出会い、既に見知った料理の新たな美味しさを再発見する、という強い衝動に、彼は駆りたてられている。レストラン、定食屋、軽食堂・・・、一見するとつまらない作品に見えるかもしれない。しかし読み進めるに従って、この作品にはとても中毒的な魅力があり、様々なことを考えさせられ、そして・・・デリシャスな作品であることに気付かされる。
日本美食通信
予定の無い暇な日曜日のお昼時、リポーターがフランスのレストランを巡る料理番組、「美食通信」(Carte postale gourmande)を見てしまうことがある。知識をたくさん得られる番組ではないが、毎回見るたびにテレビのスクリーンにくぎ付けになり、近所のスーパーの「高級食材」のコーナーをどうしようもなく買い占めたくなってしまう。『孤独のグルメ』は、料理に関する様々な体験(と言っても内容の無い体験談ではない)を題材とした、18話の作品である。物語は徐々に展開し、読者は、日本の食材に関して、登場する店について、そして謎に満ちたこの主人公について、徹底的に知りたくなってしまう。ページをめくりながら、美味しそうな御馳走から簡単な弁当(bentô)まで、我々がフランスで見させられている偽スシバー(simili-sushi bar)からは全くもって程遠いところにある、[食の]豊かさをこの作品によって知ることになる。
言い換えれば『孤独のグルメ』とは、美味しい食事をこよなく愛する二人の作者による、信仰告白の作品である。
食べる快楽
以上のような点は、女性雑誌の商業的キャンペーンのように非常に陳腐で、自己満足と馬鹿馬鹿しさにまみれた快楽主義者の快楽(plaisir hédoniste)に通じるような側面であるが、その背後にこそ『孤独のグルメ』の重要な点が潜んでいる。「快楽主義者の快楽」と述べたが、無駄な美辞麗句のつもりは全くない。むしろこの作品の方向性自体はまぎれもなく「快楽主義者の快楽」である。この点に関しては、次のような翻訳者の序文が的確だ。「ワインをまるまる一瓶味わうように、このグルメ本をゆっくり楽しまなければならない。[ワインor『孤独のグルメ』の]製造年号はどうでもいい。飲んで[or読んで]いるうちに徐々に味わいが立ってくる見事な出来栄えを楽しもう。なぜなら、谷口と久住のマンガの面白さは、即効的なものではないからだ。むしろそれぞれのエピソードを時間をかけてゆっくりと楽しめば、徐々にこの作品がバンド・デシネの傑作であることが分かってくるだろう。」
テーブルで、カウンターで、屋台で、そして列車の座席で食を楽しむ喜びが読者にも伝わってくる。久住昌之は、登場人物の様々な設定を明らかにすることのない物語を描いた。その結果、より素晴らしい脚本になり、グラフィック的にも独特で、奇妙な、なんとも説明のつかない感覚を持たされることになり、取るに足らないと思っていたかもしれない予想外のテーマによって我々は感動させられてしまうのである。
社会的・政治的パンフレット
日本は現在アイデンティティ危機の真っただ中にある、と言われて既に久しい。高齢化社会と老人会!おそらく、農業回帰や、道教・神道・仏教的(tao-shinto-bouddhique)な調和、さらには自然食レストランやインドのサリー(saris indiens)[のような伝統的でエコな衣服?]に回帰しようという傾向が日本にはすぐに現れるだろう。人気雑誌「アエラ」(新聞大手・朝日新聞系の雑誌)は、ある思想に根ざした運動に関する記事を掲載している。すなわち、アメリカ、スカンジナヴィア、そして特にイタリアで支持者の多いスローライフ運動(+原注)である。日本においてもこの運動は、様々な考え方を持つ学識経験者や知識人から支持されており、既に地方の小さな村の村長が東京の人々に向けてキャンペーンを始めている。パリのメトロで展開された「Peace Aisne Love」キャンペーン(*訳注2)に少し似ている。その目的は、都会でストレスがたまっている人たちを集めて、過疎化が進む村々に移住を促し、小さな畑を耕してもらうことである。まるで未来のヴォルテールだ!(*訳注3) 雑誌、商店、レストラン、インターネットサイト、注目の村、といったすべての産業がスローライフの周辺で発展している。若者は地方へ、老人は都会へ!
『孤独のグルメ』は、歴史的に最も保守的な階層にさえ広がりつつある、現在進行中の[スローライフ]運動の中に位置しており、この作品の作者はそうした運動を受け継ぐ者なのである。
谷口の絵はいつものように詳細で正確である。マンガの「大きな目」は日本の若者のドラマ性やエネルギーをうまく表現しているのだと、少なくとも表層的に言われることがあるが、これに対して谷口の描き方は、少し時代が経っているものの、日本人の生活を丸ごと表現するのに最も適した表現法の一つである。バンド・デシネ界における今村昌平である。正確で、複雑で、それでいて親しみやすい描き方なのである。
台湾のヤキトリよさらば!今夜は日本食だ!(*訳注4)
作者のテーマとして、ある日本人の食生活を描き、結果が出る保証があるわけでもない社会的実験[=スローライフ]を扱った『孤独のグルメ』だが、エリート臭はせず、むしろ庶民的な雰囲気が漂っているところが素晴らしい(いわゆるエリートたちにとっては庶民という言葉はより侮蔑的な意味合いになってしまうだろうが)。『孤独のグルメ』は、現代日本を忠実に写し取り、そして[登場人物の]ためらい、人生の変転、そして至福の瞬間を描いた作品である。
決めた!冷凍の寿司(sushi Picard)を食べるのはもう止めだ!(*訳注5)
Arnaud Lambert
+原注:イタリアのスローライフ運動は1986年に誕生。Courrier Internationalの2004年12月738-739号を参照。
*訳注1:CPE(Contrat première embauche)は、言うまでもなく2006年にフランスを揺るがした大規模デモの原因となった労働契約の一種、「初期雇用契約」のこと。20人以上の被雇用者のいる企業に、26歳未満の若者が雇われる場合、最初の2年間を試行期間とし、その間雇用主は理由なくこれを解雇できることを認めたもの。
書きぶりからしてこの評者はおそらくCPE反対派(の若者?)。
ご存じのように、推進者のドヴィルパン首相(当時)の狙いは、硬直化した労働市場に少しでも流動性をもたらすことで若者の失業率を下げようとする点でした。事実、既に導入されていた、20人未満の企業を対象とした同様の新雇用契約制度(Contrat nouvelles embauches=近年度中に廃止予定)導入後、ある程度の雇用創出効果があったことが認められていました。しかし、若者とこれに同調した労働組合を中心とした大規模な反対運動を前に、この新制度の撤回を余儀なくされます。
ドヴィルパンはもともと党内基盤が弱い一匹狼だったこともあって、シラク大統領(当時)の後継としての地位を完全に失うことに。一連のCPE反対運動の中で名を挙げたのがセゴレーヌ・ロワイヤルだったが、結局フランス国民が大統領として選んだのはより自由主義的な経済政策を掲げたサルコジ。この騒動が無ければロワイヤルの名前は売れなかっただろうが、しかし同時にCPE導入もできないようなフランスの閉塞感に対する失望・反発がサルコジ当選を導いた側面も非常に大きいと思われます。
『孤独のグルメ』の主人公が「CPE賛成派であってもおかしくない」と書かれている点は、この意味で、仕事が見つからない若者とほぼ終身雇用で安心の中高年の間での、フランス版「世代間対立」をうかがわせるものと言ってもおそらく過言ではないと思われます。
訳注2:Peace Aisne Loveは、フランス北部のエーヌ県(Aisne=ド田舎)が2005年に行った地域おこし・宣伝キャンペーン。Peace Aisne Love(ピース・エヌ・ラヴ)はPeace and loveとの駄洒落(苦笑)。同様の標語として、Do you speak Aisne’glish?とか、Rock’Aisne’Rollとか、Aisne’joy your lifeとか、Fish’Aisne’Chips等がある模様(苦笑2)。以下、その時のポスター画像(苦笑3)。



訳注3:「おっしゃることはごもっとも。しかし、先ずは私たちの畑を耕さなければなりません」(小説『カンディード』から)
訳注4:なぜ台湾なのか分かりませんでした。
訳注5:Picardは冷凍食品専門のチェーン店。
参照先
〜以上、訳終わり。
この作品の魅力をスローライフに押し込めてしまうのはちょっともったいないかも。
ラベル:孤独のグルメ
スケッチブックやマスターキートンのような
落ち着いて見れる雰囲気が好きな作品ですね
自然食レストランのお話は
食べる前に「今はこういう雰囲気の店は苦手」と言いつつ
食べた後で「これは子供の頃嫌いだった味だ」と言っている所がポイントですね…
深夜のコンビニで馬鹿みたいに食い物買い集めるなんてスローフードと対極の話だし、ファストフードや観光地のぼったくり料理さえ美味しく食べてるのに。
「スローライフ」とはまた違った意味あい
だろう。もっとライフスタイル全体をいう
ような意味での「スローライフ」だよ。
評者が言っているのは。
感想のスローライフの言葉に違和感があったけど
いわゆるスローライフ(笑)のほうだったわけか
ちょっと不思議ですが、フランス人にもあのじわじわとくるなんとも言えない魅力が伝わっているようです。しかし、小津映画を高く評価している人たちですから、さもありなんという感じもします。
〉smarteye様
フランスでは谷口ジローの代表作のほとんどが翻訳出版されているようです。
「このテの店」は「苦手」とか言いながら、素直に美味しく食べて追加注文までしているところがいいですよね。思想は嫌いだけど美味しいものは美味しい、という態度が清々しいです(笑)。
〉
ぼったくり料理(笑)
そうですね。全く無関係というわけでもない様な気がしますが、確かにこの評者は言い過ぎかなと思います。ただ「スローライフ」という言葉が使いたかっただけちゃうんか、と。
いろんな人が自分の都合のいいように「スローライフ」という言葉を使っているので、厳密な意味がよく分からなくなってしまいました。仰る様にここでは広い意味なんでしょう。
ロハス(笑)
エコバッグ(笑)
スローフード(笑)
グルメ(笑)
どのように評されるのか。
少し気になりますね。
イタリアは、食も漫画もアニメも愛好家が多そうですよね。でも全然情報が伝わってこないところが残念です。『紅の豚』とかがどう受け止められているのか、面白そうですが。
何か感じる所があったのでしょうね
この漫画は非常に日本的な情感を描いているような気がするのですが、仏伊で受けているということはやはり普遍的な魅力もあるということなんでしょう。凄いことだと思います。
こんな時だからこそ、生きてる内に思いっきり楽しんでおきたい…
不謹慎なんて言うなよな!いっちまったら何もできないんだから…(´・ω・`)
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